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Japanese Queue

momokozzh
725 Characters / 0 Recordings / 0 Comments
"三日月が まるで剣の先のように白く輝いています かすかに聞こえる水の流れ 夜露を含んだ草木たちのざわめき 目を閉じて 見えるはずのない命の営みを この身で感じています 夜は深く 静かに 肌を刺して 心の在り方を私に問いかけます その答えの術をまだ導き出せない己と …"
mvhamm
1682 Characters / 0 Recordings / 0 Comments
"父親に関して覚えていること。 もちろん父に関して覚えていることはたくさんある。なにしろこの世に生を受けてから、十八歳になって家を離れるまで親子として、それほど広くもない家の中で、ひとつ屋根の下で、当然のこととして毎日起居を共にしていたのだから。僕と父の間には──おそらく世の中のたいていの親子関係がそうであるように──楽しいこともあれば、それほど愉快ではないこともあった。でも今でもいちばんありありと僕の脳裏に蘇ってくるのは、なぜかそのどちらでもない、とても平凡な日常のありふれた光景だ。 たとえばこんなことがあった。 我々が夙川(兵庫県西宮市)の家に住んでいる頃、海辺に一匹の猫を棄てに行ったことがある。子猫ではなく、もう大きくなった雌猫だった。どうしてそんな大きな猫を棄てに行ったりしたのか、よく覚えていない。我々が住んでいたのは庭のある一軒家だったし、猫を飼うくらいのスペースはじゅうぶんあったからだ。あるいはうちにいついた野良猫のお腹が大きくなってきて、その子供の面倒まではみられないと親は考えたのかもしれない。でもそのあたりの記憶は定かではない。いずれにせよ当時は、猫を棄てたりすることは、今に比べればわりに当たり前の出来事であり、とくに世間からうしろ指を差されるような行為ではなかった。猫にわざわざ避妊手術を受けさせるなんて、誰も思いつかないような時代だったから。 僕はまだ小学校の低学年だったと思う。おそらく昭和30年代の初めだったろう。うちの近くには、戦争中に米軍の爆撃を受けて廃墟になったままの銀行の建物がまだ残されていた。まだ戦争の爪痕が残っていた時代だ ともあれ父と僕はある夏の午後、海岸にその雌猫を棄てに行った。父が自転車を漕ぎ、僕が後ろに乗って猫を入れた箱を持っていた。夙川沿いに香櫨園の浜まで行って、猫を入れた箱を防風林に置いて、あとも見ずにさっさとうちに帰ってきた。うちと浜とのあいだにはたぶん二キロくらいの距離はあったと思う。当時はまだ海は埋め立てられてはおらず、香櫨園の浜は賑やかな海水浴場になっていた。海はきれいで、夏休みにはほとんど毎日のように、僕は友だちと一緒にその浜に泳ぎに行った。子供たちが勝手に海に泳ぎに行くことを、当時の親たちはほとんど気にもしなかったようだ。だから僕らは自然に、いくらでも泳げるようになった。夙川にはたくさんの魚がいた。河口で立派な鰻を一匹捕まえたこともある。 とにかく父と僕は香櫨園の浜に猫を置いて、さよならを言い、自転車でうちに帰ってきた。そして自転車を降りて、「かわいそうやけど、まあしょうがなかったもんな」という感じで玄関の戸をがらりと開けると、さっき棄ててきたはずの猫が「にゃあ」と言って、尻尾を立てて愛想良く僕らを出迎えた。先回りして、とっくに家に帰っていたのだ。どうしてそんなに素速く戻ってこられたのか、僕にはとても理解できなかった。なにしろ僕らは自転車でまっすぐ帰宅したのだから。父にもそれは理解できなかった。だからしばらくのあいだ、二人で言葉を失っていた。 そのときの父の呆然とした顔をまだよく覚えている。でもその呆然とした顔は、やがて感心した表情に変わり、そして最後にはいくらかほっとしたような顔になった。そして結局それからもその猫を飼い続けることになった。そこまでしてうちに帰ってきたんだから、まあ飼わざるを得ないだろう、という諦めの心境で。 うちにはいつも猫がいた。僕らはそれらの猫たちとうまく、仲良く暮らしていたと思う。そして猫たちはいつも僕の素晴らしい友だちだった。兄弟を持たなかったので、猫と本が僕のいちばん大事な仲間だった。縁側で(その時代の家にはたいてい縁側がついていた)猫と一緒にひなたぼっこをするのが大好きだった。なのにどうしてその猫を海岸に棄てに行かなくてはならなかったのだろう? なぜ僕はそのことに対して異議を唱えなかったのだろう? それは──猫が僕らより早く帰宅していたことと並んで──今でも僕にとってのひとつの謎になっている。"
tesl4
6 Characters / 0 Recordings / 0 Comments
"失われた世界"
anton15b
217 Characters / 0 Recordings / 0 Comments
"吉川線とは,絞頸された被害者の頸部に認められることのある表皮剝脱のことで,被害者の抵抗によって生じた一種の防御創と考えられています。 したがって,損傷が吉川線であると診断されれば,他殺と判断されます。縄や紐などの索状物を巻きつけて頸部を水平に圧迫し、気道(喉頭から気管を含む)を閉塞させることで呼吸が出来ないようにすることを、法医学では絞頸(こうけい)と呼ぶ。 絞頸による死を絞死(こうし)といい、絞頸による殺人を絞殺(こうさつ)という。"
Nanta
17 Characters / 0 Recordings / 1 Comments
"Can't upload files?"
minghung
911 Characters / 0 Recordings / 0 Comments
"1.初めまして。株式会社ジャパンコンテナーの古本と申し ます。本日は突然の連絡にも関わらず、ご対応頂き、誠に 有難うございます。弊社は日本でコンテナーの製造・販売を する会社です。この度はベトナムへの進出を検討しておりまして、初めてダソンをご訪問させて頂きました。とても 美しい都市ですね。 2.では、早速ですが、先ず、弊社のプロジェクトの趣旨を簡単にご説明させて頂きます。 弊社は現在、日本全国で500 か所の老人ホームを運営しており、2022年の春には新たな 施設を20か所オープンする予定です。これに伴って、 施設で働く介護スタッフを採用し、育成しておく必要が あります。 しかし、これまで日本人のスタッフだけに頼って …"
Nobunaga88
44 Characters / 0 Recordings / 0 Comments
"彼の会社は、だんだん成長しつつあります。 今、アフリカゾウの数は徐々に減りつつあります。"
anreis
148 Characters / 0 Recordings / 0 Comments
"1 + 0 = 1 1 + 1 = 2 1 + …"
Pearly_Bean1
439 Characters / 0 Recordings / 0 Comments
"初めまして、アインと申します。日本語学部の学生です。五年前から日本語でアニメを見られるようになりたかったので日本語の勉強を始めました。同時にVOV2 ラジオチャネルでやさしい日本語という番組は偶然に知っていました。VOV2放送局に連絡してやさしい日本語の教科書をもらいました。それからラジオで簡単な会話を聞いたりアニメの歌を聞いて歌詞を書き写したりしました。日本語を勉強している5年間に毎日日本語に集中しませんでした。アニメに飽きたときもあったです。新しい趣味があると日本語の勉強も中止でした。でも結局また続きます。 私にとって一番好きで一番ありがたい教科書はドラえもんです。子供っぽくて信じられないと思われるかもしれないが事実です。面白くて集中しやすいし、自然な表現や単語など色々覚えました。たまにアニメから覚えた言葉を使って日本人の友達にも褒められました。かっこいいってうれしいです。 日本語の勉強はまだまだです。勉強の方法はよく改善するべきだと思います。もっとがんばります。"
jskxlanejx
20 Characters / 0 Recordings / 0 Comments
"俺は一体何者なのか まだ何も思い出せない"