毎日小学生新聞 2011年5月8日
あの人に会った
本橋成一さん 写真家
◇会いに行った人
小野泉海(おのいずみ)さん (東京学芸大学附属小金井小5年)
炭鉱、サーカス、築地魚河岸など、市井の人々を撮り続けてきた写真か、本橋成一さん。チェルノブイリ原発事故の被災地ベラルーシに通い、汚染地域で暮らす村人たちを撮影したことでも知られます。写真を撮るのが大好きな毎小特派員の小野泉海さんが、新刊「屠場(とば)」を発表したばかりの本橋さんを訪ねました。
◇普通の人を記録したい
小野さん なぜ屠場(とば) (食肉用の家畜を殺して処理する所)の写真を撮ろうと思ったのですか。
本橋さん 見た?どうだった?
小野さん ちょっと怖かったけど、こういう人たちがいるから肉を食べられるんだと思いました。
本橋さん 僕は普通の人に興味があるんです。職人さんとか。僕たち、これだけ肉を食べているのに、屠場って見たことないでしょう?あの人たちすごいんだよ。ナイフ1本で皮も内臓もはいでいく。でも、世の中から隠されている。こんなすごい技術をみんなに知らせたいと思ったわけです。
小野さん 屠場で働く人たちは差別を受けていたそうですが、どんな差別を受けていたのですか?
本橋さん 今も差別はあるんだよ。子どももあるでしょ、あの人は臭いとか嫌いとか、何の根拠もないのに、いじめだよね。それと同じことずっとあって、今も結婚差別や就職差別をする社会がまだのこっているんです。
小野さん 放射能で汚染されたベラルーシの村に行く時はどんだ気持ちだったんですか。
本橋さん 最初はどきどきしました。放射能って冷たくも熱くも痛くもない、でも測定する機械がピピピと鳴る。それが鳴ると怖かった。それでも、そこに残っている人たちに会ってみたい、記録したいという気持ちで行きました。
◇「サマショーロー」は当然だ
小野さん 残っている方についてどう思いましたか。
本橋さん 向こうではサマショーローという造語があるんです。「あそこに残っているじじ、ばばはサマショーローだ」って言う。わがままだ、困った人だっていう意味です。今まさにこれと同じことが福島県で起きている。でも、サマショーローになるのは当然だと思うんです。自分が生まれ、生活している土地だもの。飼っているブタやヤギもいる。ましてや村に残っていた人たちは、電気なんてほとんど使わない暮らしをしていたんですよ。
小野さん 福島第1原発事故をどう思いますか。
本橋さん チェルノブイリを見て、僕は怖いな、怖いなと思っていました。でも、まさか日本では起こるまいとも思った。そしたら起こっちゃったよね。これ以上、事態が悪化しないことを願っています。事故が起きて、僕は1週間ぐらい怒っていた。電力会社も学者も安全だと言っていたじゃないかと。けれど結局、これは僕のことなんだよなと思いました。チェルノブイリに行った時、僕はナボーキンさんという牛飼いの老人に「どうしてこの村から安全な場所に出て行かないんですか」と聞いたんです。その時、彼はキョトンとして答えたの。「人間が汚した土地だろう。どこへ行けって言うんだい?」。その言葉を思い出して、そうだ、僕はいつの間にか他人事になっていた、これは僕の問題なんだと反省しました。
小野さん 今、東日本大震災の被災地に行くとしたら、どんな写真を撮りたいですか。
本橋さん 難しい質問だね。まだ分からないから、行ってないんだろうと思う。ただ、ナージャとかアレクセイみたいな人たちを、撮りたいなと思うけどね。【まとめ・井上志津(いのうえしづ)、写真・八木正(やぎただし)】
◇プロフィル
1940年、東京都生まれ。68年、写真集「炭鉱〈ヤマ〉」で太陽賞受賞。98年、チェルノブイリ原発事故の汚染地域で暮らす人々を写した写真集「ナージャの村」で土門拳賞受賞。同名のドキュメンタリー映画も発表。2002年、2作目の映画「アレクセイと泉」でベルリン国際映画祭ベルリナー新聞賞と国際シネクラブ賞を受賞。
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