いいとこ知り合ったわここの場所、ここの場所が僕を呼んだんじゃないかと思うぐらい。
こういう生活を人生の中で経験してなかったら僕は一生の不覚だったのに。今幸せだ。もう、一番言えるのは、平和だもん。この平和は、何よりも、物が無く不便で食べ物が無くても、水を不便しながらでも、この平和と言うものには替えられないね。争いが無いよ何にも。
日本の南、沖縄本島から南西約400㎞に位置する、外ばなり島、飲料水や農地の確保が難しいこともあり人が住みつかず、近代は無人島として知られる、その外離れ島で20年以上もたった一人で暮らす男性がいる。長崎正巳78歳。裸のおじさんとして知られる彼だが、それ以上に情報は少ない。
東京から外離れ島は約2000㎞、東京を早朝に出発、飛行機を乗り継ぎ、沖縄本島の南石垣島へ、さらにそこからフェリーに乗り込み外離れ島の玄関口とも言う西表島へと向かう。
西表島で長崎の事をよく知るという男性、青木さんに出会った。
外離れ島には電気どころか水道さえもない、そんな環境で20年も住んでいる人が一体どんな人なのか、何故その生活を選んだのか、私には想像もできない。
これから数日間の心の準備をする意味も含めて、先ずは青木さんに話を聞いてみることにした。
大体どれくらい前ですか、一番最初に出会ったのは?
だから、えっと、あれは15,6年前じゃなかったですかねえ、もっと前だったかなあ、
まあ、そのくらい前だったですよ。
長崎さんが青木さんにとって、ううん、何だろうなあ、青木さんが長崎さんの一番仲のいいお友達なんですか?
彼はそう言っているけど・・
ああそうなんですか。
まあ、そんな感じですよ。
結構ご高齢じゃないですか。ご心配じゃないですか?お友達として?
もう、連絡のしようがないもんですからねえ、だから1か月に一回ぐらい買い出しにくるから、しばらく来ないときはやっぱり生きているかどうか心配だけれども、やっぱり、船で言って見て来るんですよ。そうすると浜の方をうろうろしているんで、まあ、生きているなあ、って。そんな感じでずーっとやってきていますねえ。
何か、私って東京に住んでて、無人島で本当に一人で住んでいる人っていうのが、いったいどういう感じの人がそういうことができるのかっていうのが全然イメージがわかないんですよね。
うーん、まあ色々、若い時にあったんじゃないdすかね、嫌な事とか、まあその辺も僕も聞いた事は無いんだけどもね、まあいいんじゃないんですか、住みたい処で住むというのが、それであそこで20年も生きているんだからね。
一人で、でも、私だったら一人でそうやって、まったく孤独で住むことって、たぶん怖くてできないくって・・
そう、僕もあそこに行ったら3時間ぐらいが限度ですよ。
ほんと?
誰もいないところで、何も無いところで、何も面白いこともないし、イノブタと話しできるわけじゃないしねえ、ハブと話しできるわけじゃないし、まだちょっと早いかな、あんな孤独には耐えられないですよ。
15年来の親友という青木さん、お互いの過去をあえて詮索しないからなぜ長崎が無人島に一人で暮らすことに決めたのか良くは知らないという。インターネットを通して毎分毎秒他人の近況がアップデートされている私の生活、以前何をしていたか、今何をしているのか、ものすごい量の情報を知っていても、本当のところは何も知らない人たちに囲まれて生きている、それが現代なのかもしれない。でも、青木さんと話して本当の人間同士のつながりを久しぶりに実感した気がした。
長崎が住む外離れ島には一日に二回満潮の時だけ入ることができる。その日はもう島に入ることはできない、という青木さんの判断で、その夜は一晩青木さんのところにお世話になることにした。
翌日いよいよ長崎の待つ外離れ島に向かった。
あれだねえ、外離れ島、おじいさんが住んでいる処はあの後ろのところにあるらしい。
やっと、東京を出てからもう一日半ぐらいたっているんだけど、ようやく、ボートの波にもまれてもまれてやってきて、ついに私にも見えた気がする。あれ、さっき人影が見えたけどなあ。ほらそこ、いるいるいる。あれはおじさん?おじさんですか?
よろしくお願いします、ゆかです、よろしくお願いします。
中行く?
はいおねがいします。
すごい、ああここがあれだ、住むところだ、これ、何個もテントがあるのは何でなんですか?
あれは、この小屋作る前は台風の時はこれをたたんでね、大きい台風が来たらあそこで寝てて、じっとしてさ、傷んできたからさ、今小屋ができたからさ、小屋で。
これすごいですよね、自分で建てたんですか?
結局青木さんと一緒に作った。
青木さんは大親友なんですか?青木さんは親友みたいな感じなんですか?
そうだろうね、一番の親友だろうねえ。
あ、そうなんだ。
ここが炊事場ですか?
うん、
ああそうかここで火が焚けるようになっているだ。
来た当初、一年か二年ぐらい、カラスに荒らされまわったよね、ここはね。
カラスも生きるために食べ物を取りに来るんだけどもさ、そのためにこれもカラス来んようにしてるさ、
ああ、たべものも・・
そこも物を置いて、カラス来んだろ。
ああ、そうかそうか。なるほどね。
みんなそれぞれ意味はあるんだよ、この中で、やっていることは。
なんかほかに意味があるものとか見せてもらってもいいですか、ほかにどんなものが?
これは雨に濡れんようにしとかんとね。ここの中にも薪があるけどね、これにはうっかり手を付けんように、ハブがいるからさ。よく見てね。薪は海岸の掃除をするときに一杯流れてくるからさ。
あ、ほんとだ、流木だ。
生活してみてわかったからどんどん新しいシステムを・・
そうそう、だからねえ、最初の頃は、嫌なことつらいこと困ったこと色々悩んだことあったけどね、今はむしろ困ったこととかつらいことがあった方が、僕は良いわ、それを乗り越えるから。(なるほど)乗り越えた結果が今こうなっているんだけどね。
今はむしろ試練を受けた方が、勉強の場が増えていいね。
暮らしぶりこそまさに無人島生活と言う感じだが、完全な自給自足生活を営んでいるわけではない。姉から1か月に一度送られてくる仕送りで街へ買い物に行き食糧を貯えながら生活をしている。
ほんで、ここにね・・
あら、これはなんだ・・
米だ。
来た当時、袋のまま置いてたんだわ、ネズミにやられてね、ビンならネズミはかじらいからと言うんで瓶に入れて、そんで瓶に入れたのは良いけど、蓋のところを食いちぎるのさ。
でもネズミは入ってこれないじゃない。
そしたら蟻が入ってくるさ。
アリが入ってくるんだ。だから上にこうしたら大丈夫さ。それでもネズミが心配だから板切れを上に置くとかね。皆そうだよ、その時その時動くわけさ。
じゃああれなんですね、ほんとに20年間以上ここにずっと生活していて、特に毎日会社に行かなければいけないわけじゃなくても、毎日忙しいんですね。
忙しい、ほんとに忙しい、天気に合わせながらね。
だから雨が降ったら何をするかということや色々メモ用紙に書いてる。
それは何ですか?
これは何をするかをさ、書いておくわけ。
あ、そんな、予定表まであるんだ。
予定表を作るわけだ、夜、明日何しようか、ってね。
毎日?
うん、やり忘れるとだめだから、ここは。やり忘れたことは命取りになる。
全部書いておくわけ。
台風って大体どれくらい来るもんなんですか?
年の内に?
うんまあ・・ていうか、台風のシーズンってここって。
大体九月十月、十月の台風が一番強いわ、一番大きなのが来たら葉っぱがいちまいもないよここら辺は。
ほんとですか?
僕は福岡で台風を何度も味わったけど、あんな台風、向こうの福岡で受けた一番強い台風がここで一番弱い台風と思っていい。
あ、ほんとに。
ここに針金入ってるだろ。
うん、どこだ?
これね。
ここいってるだろ、テントの中に引っ張ってるわけさ、ここで7,8年ぐらい前にラディオのAMがFMにかわったんさ、FMにかわってここは電波を受けにくいから、こうして電波を探すわけさ。
針金で?
はりがねで。
針金で電波って拾えるものなんですか?
ステンレスの針金ね、それでずーっと引っ張って、テントの中に持ってきた、きれいに入るわ。
ほんとに?そういう知恵ってどこで学んだんですか?
それも、今言ったように、困ったことは、どうしようかと考えてさ、考えるわけ。
やってみるんだ、そしたらラジオ付いたんだ。
これも場所によって、台風でずれるさ、これがね、そしたらまた方向を変えなきゃいかんだろ。
今、はいってるからさ、これでいい。これも台風が来たらまたずれるからね。
それこそこういう孤島で生活してたら病気になった時とか、ほんとどういうことが起こるかわからないじゃないですか。
病気ね・・・うっかりしたなあ、うがいするのを忘れたなあ、病気にならんようにしとく方がいいさ、(もちろん)、だから薬はない方が良い、薬があると薬に頼るさ、だから風邪ひいたら風邪薬飲んでおけばいいさ、とか。
傷んだような食べ物を食べて当たったら正露丸でも飲んでおけばいいさとか、薬に頼ったらいかんね、その前に用心しておけば大丈夫。全然病原菌ないさね、無菌状態、僕の体はね。だから、赤ちゃんの、お母さんのおなかの中の赤ちゃんと一緒でね、だから人が来たりして帰ったらまずすぐ目の前の海水でうがいするわけ、これは効くね、うがいは。
だから、買い物に行ってもここの水を汲み置きしたやつを持って行って、帰りの船が出る時にうがいして帰ってくるんだよ。向こうの水はとてもうがいする気にならないもん。
なるほどねえ・・
そしたらね、それを二回ぐらい忘れたことがある、持って行くのをね、忘れた時があったんだわ。てきめん風邪かなんかを受けてるわ、だから今もうがいせにゃいかん事を思い出した。
じゃあうがいしに行きましょうか?
こんな海水がそういう作用があるなんてここで知ったんだもんね。
けど、お祖母ちゃんとか言いません?風邪ひかないように食塩入れて、食塩水作ってうがいしな、なんて、うちのお祖母ちゃんは言っていましたけどね。
ああ、そうね。
知らない?ほんと。
・・なことはどんどん先にやっとかんとね、後で追っかけてもだめだ、自然界はね。その面は都会で住んでいるのとは全然生き方が違うね。
でも都会でも多分思ったことはすぐやるようにしたほうが良いんだと思う、なかなかできないけど。
物を大事にするのは、間違えなく大事にするようになってきたねえ。
自分でもケチになったんじゃないかと思うくらい大事にするね。
ここが大好きですね?
そうだね、ここが僕を呼んだという感じだね。
幸せですか?じゃあ、今?
幸せだよ、最高だよ、今。
特に誰も来なかったらね・・
また、来ちゃった、すみません
無人島に一人で暮らす、というと、寡黙で気難しそうな人物像を想像していた私、でも実際の長崎は全くの正反対だった。なぜこんなにも社交的で話好きな男性が外界から閉ざされた地でたった一人で暮らすことに決めたのか?
福岡で写真家して、親父がかなり有名な写真家で、それの長男だからつい感化されてね、かなりいい目をしたよ。写真をやめるきっかけ・・これははっきりしてるんだ。今度の8月9日が長崎の原爆記念日だろう、あの日に合わせて写真をふらっとカメラと材料を持ってなんか写そうかと思って来たんだわ、見回したらお祈りしているだろう、あの敬虔な祈りを見て、シャッターを1枚も押せなかった。カメラの目にならないと報道写真は撮れないよね、
人間味が出すぎるわけだね、僕なんか。
それ以来写真は撮れないから、もう一切それから写真はやめたね。
まあ、いろいろあったねえ、僕は博多に帰ってくるとき、飛行機で帰ってくるとき、瀬戸内海の上を通るんだね、飛行機は。下を見たらねえ、今から50年ほど前だよ、その頃瀬戸内海がごみで色がついた、それだけ公共汚染が進んでいたわけ。
そりゃ瀬戸内海はだめになるさ、だからそういう具合で、その頃から日本は危なくなるなあというのは感じていて、それが影響してか知らんけども自分の生きざまも変わってきたね。
変わってきたなあ・・
そしてあっちこっち動いて、今考えれば、あっちこっち動いたというのは、こういう平和な生き方ができる場所を探してたみたいなね、感じだ、今思えばね。
今から向かうところはどこですか?そこに何があるんですか?
シャコ貝があってね、潮が高いからねまだ、見えるかどうか探す・・
これがシャコ貝?
今まだ潮がこんな高いだろ、これが浜下りの頃はね完全に引いてしまうから。
あれ、島バナナね、見えるかな?
あ、見える、バナナ?
なってる?
ああ、なってる。高枝切狭とかあったら取れそうな距離だけど、
降りといで、
はーい。いけそうだね、ここ伝ってったら、危ないかなあ
止めときって。
ほんと。なんか私行ける気がするんですけど
だめだ。
岩牡蠣、めっちゃちっちゃい。
口に入れて・・
私、牡蠣ダメ
牡蠣ダメ?なんで?
アレルギー。
あ、そう。
超美味い。わあ。海食べてるみたい、すっごい、これはめちゃめちゃ美味いですね。
今から、さっきとった貝をさばいてくれるそうです。
これを洗ってくるだけ。
貝がだめっていうことは女もダメかね。
なんか命を食べてる感じがしますよね、だから有り難いっていうか。
僕はそれ以上に、ごめんなさいだもんね。
そうか・・・
でも、ずーっと人間の歴史というか、人間だけじゃなくて動物の歴史の中でも、食べあって生きてきたのが自然の摂理だから、
だからそれは人間の勝手な言い分でね、天からの恵み物というけどさ、生きている人間以外の者から考えると、そりゃ、草花でもなんでも、一生懸命子孫を増やそうと思って生きているわけだ、それをいい加減な人間が理由をつけて、天の恵みだとか言っているけどね、それが高じてきて、さっきも話したように、平和に対する考え方でね、ちょっと考えるようになってきたわけ。
僕は何回も言うように、自然に従って生きているから、それは仕方ないとして生きてゆくさ。ただ、生意気に聞こえるかもしれないけど、人間には合わせないけど自然には従う、これが僕の今の信念ね。
自然には完全に従って合わせてゆく。人間には合わせたくない。ここにいること自体が自然風刺の表れでもあるんだけどさ。それを言葉で表すと、こんなことを言ってもわかってもらえないかもしれないけど、今の日本はだめ!
先が見えてる、ずいぶん前から先が見えてたもの、もうだめだ、それがここに来る理由に、その中の人たちがゴミを、ごみそのものはここにも流れてくる、これは少ないほうだろう、ゴミね、ひどいだろうどこも。ごみを捨てる人間性が嫌なんだ、自分勝手な・・
みんな勝手だわ、自分のことだけ考えてる。企業もそうだろう、企業も従業員の事より自分の会社の上部の人が金儲けをするぐらいでね、みんなそう、みんな自分勝手。自然に合わせるという心が芽生えてくれれば、住みやすい世の中になるんだけど、
もっと住みやすい世の中になるんだけど。
長崎は自分のことを日本を捨てた人間と呼んだ。「前の生活に戻りたくなることはないか」、という質問にも、「たった一人で寂しくないのか」という質問にも、長崎はきっぱりと「全然」と答える。でもどこまで本当なんだろう。もしかすると声に出すことで自分への勇気付けにしているのではないか、そう考えずにはいられなかった。
ありがとうございました。また遊びに来ます。
時々、山の上からここにいる僕を見るわけさね、現実にいる僕自身が遠くから見て、小さければ小さいほどこの島にはまっている、それが大きく見えたら、ちょっと、自然にあってない、それくらいのほうがちょうどいいんだ。
ちいさけれが小さく見えるほど僕はこの自然にあっていると。
より多くを求める事、より大きな人間になろうとすることは、大切だと思う。
それは私たちの生きる社会で成長するための原動力だ。でもそればかりに気を取られ自分の内側を見失うと、どこかで道に迷ってしまうことがあるのかもしれない。地に足を付けて生きる、それが心底幸せそうな笑顔を持つ長崎から学んだ幸せな人生を生きるためのヒントだった。
長崎が住む外離れ島には一日に二回満潮の時だけボートで入ることができる。その日はもう島に入ることはできない、という青木さんの判断で、その夜は一晩青木さんのところにお世話になることにした。