死刑破棄 - 事実に向き合う重い責任
裁判員の候補者名簿に名前が載っている人はもちろん、今回の最高裁判決の報道に接して身の引き締まる思いをした国民は少なくないのではないか。
8年前に大阪で起きた殺人事件で、最高裁は無期懲役とした一審と死刑を言い渡した二審の判決をいずれも破棄し、審理を差し戻した。被告が犯人かどうか疑問が残るとの判断である。
自白など犯行と被告とを直接結びつける証拠はなく、犯人ではないかと推認させる状況証拠があるだけだった。
5人の裁判官の意見は分かれた。4人は、一、二審判決は事実を誤認した疑いがあるとし、1人は犯人と認めるだけの立証がされていると反論した。多数意見の4人も一様ではない。3人は無罪の色合いをにじませ、1人は今後の審理次第だが有罪方向での認定もありうるとの立場をとった。
事実を認定することの難しさ、厳しさを、判決は突きつけている。手続き上、今後の差し戻し審は裁判官だけの審理になるが、市民が参加する裁判員裁判でも、こうした困難な事件に向き合わなければならないのは同じだ。
注目されるのは、今回のようなケースで有罪と判断するためには「様々な証拠によって認められる事実の中に、被告が犯人でないとしたら説明のつかない事実が含まれている必要がある」とする多数意見の判断だ。
これは、「被告が犯人だという前提に立てば、すべての事実が矛盾なく説明できる」という程度では有罪としてはいけないという指摘であり、慎重な事実認定を求めたものだ。刑事司法の原則に沿った考えと評価できよう。これからの裁判でどのように生かされるのか、見守っていきたい。
とはいえ、言い回しの難しさもあって、裁判員の胸にストンと落ちるのは簡単ではないだろう。「通常の人が疑いを差しはさむ余地があるうちは、有罪と認められない」「合理的な疑いを入れない程度の証明が必要である」。こうした刑事裁判のルールを、分かりやすく懇切丁寧に伝えることが、裁判官をはじめとする法律家の務めだ。
事実を見極めることへの「おそれ」は常に持たねばならないが、そのあまり、裁判に参加すること自体に「恐れ」を招かないよう、専門家がしっかりサポートする。裁判員制度を円滑に運営していくための基盤である。
捜査当局の責任も重い。今回の判決でも、証拠物の収集や鑑定の不備が指摘された。取り調べ段階での警察官の暴行の有無も争点になっている。地道な捜査を行い、聴取の過程を記録してたどれるようにしておけば、このような混迷は防げた可能性がある。
司法が大転換期にあるいま、裁判とは何か、刑事責任を問うというのはどういうことか、これまで以上に議論を深めていかなければならない。
女性の声も録音してもらいたいです。
よろしくお願いします。