詳しい説明は「広東語(外国語)習得の本質」の中の「外国語は何故間違える」等を見ていただくことになりますが、掻い摘んで言えば、300回聞く目的は、勿論完全な広東語能力をつけるため以外にはありません。
完全な広東語能力とは、発音に就いても、語彙についても、文法についても、自分の表現したい内容を正しく言い表すことが出来る能力です。
そのためには、発音に就いても、語彙についても、文法についても、一切発明しないことです。
「外国語は間違えるのが当たり前」では決してありません。正しい学習法を実行していれば、外国語は「間違えないのが当たり前」なのです。
それなのに何故一般には「外国語は間違えるのが当たり前」と思われているのでしょうか。それは、殆どの人が、外国語を使うときに自分で「発明」をしてしまうからなのです。日本人が発明すれば,それは日本語なのであって、広東語ではないのです。一見広東語のような外見をしていても、その実日本語なのです。日本語の用法を、広東語のような発音で言っているに過ぎません。
一切発明しないためにはどうしたらいいのかといえば、発明しなくても済むように、予め全て暗記しておけばいいのです。
完全に大人になってから学習した外国語に就いては、生成能力は無いと考えなければなりません。生成能力というのは、その言語のネイティブスピーカーが備えている能力で、他のネイティブスピーカーが完全に受け入れることの出来るような言葉の連なりを、自由に作り出す能力のことです。