卒業及び脱退メンバー [編集]
卒業・脱退メンバーの詳細な経緯については卒業・脱退メンバーの一覧の節や各個人の項目を参照
モーニング娘。では、公式にグループから離れることを「卒業」または「脱退」という。この発表は公式サイトでの発表や記者会見などのマスメディアを通じて行い、コンサートでの最終公演日程などを前々からファンに伝えている。福田から市井までは脱退と公式に発表されてきたが、負のイメージを連想させない卒業という言い方を中澤の離脱時から使用するようになった。 モーニング娘。の「卒業」または「脱退」は芸能活動を停止するか、ソロまたはグループとしてそのままハロプロに在籍して芸能活動を継続することが主流となっていた。2009年のハロプロ再編以降はハロプロから離れつつも同事務所および系列事務所に所属し、芸能活動を続ける者も多い。
卒業(脱退)の発表は、後藤以前は1〜2か月程前の発表だったが、後藤と同時に卒業が発表された保田以降は、緊急脱退となった矢口と藤本を除き卒業の半年〜1年前になった。そして、紺野・小川・吉澤は3 - 4か月前、久住は2か月半前と、それまでの慣例よりは短くなった。また、これまで卒業の発表も卒業自体も同時に行ったのは、卒業後にユニットを組んで活動することが予定されていた辻と加護のみであるが、それ以外にも時期を別にして卒業する複数のメンバーの卒業が同時に発表されることがある(後藤真希と保田圭、飯田圭織と石川梨華、紺野あさ美と小川麻琴、亀井絵里とジュンジュンとリンリン)。
「卒業」の発表とその後のコンサートにおける「卒業公演」は、ワイドショー番組や『ASAYAN』などにおいて大々的に取り上げられ、その「サプライズ人事」的な要素とも相まって娘。人気の浮揚、注目度のアップ、ひいてはメンバーの結束を強固にしてきた。
「卒業」と「脱退」の使い分け [編集]
「卒業」または「脱退」という表現について、初期にはほとんどの場合に「脱退」という表現を使用していたが(結成から中澤卒業までのモーニング娘。の歴史が掲載されている『ASAYAN』公式サイトなどでは現在でも「脱退」という表現で統一されている[1])、2001年以降公式には「卒業」という表現が使用されており(「卒業メモリアル」グッズなど)、過去に遡って卒業という表現で統一されていることも多い(コンサートMCでの「卒業メンバー」呼称など)。これ以外にも、2005年4月14日の矢口の場合は、写真週刊誌『FRIDAY』において小栗旬との交際が報道されたことを理由とし、公式サイトには「モーニング娘。を辞し、ソロ活動を行う」という表現がなされている[2](ただし、テレビ番組やスポーツ新聞などマスコミによっては「卒業」と扱われることもある。)。これにより、矢口自身も卒業とも脱退とも言わず「モーニング娘。を辞めた」といった表現をとっていることがある。また、藤本も後に夫となるお笑いコンビ・品川庄司の庄司智春との交際が同じく『FRIDAY』にて報道されたことを理由に2007年6月1日付で脱退した。
なお、「卒業」という表現自体は最初にグループを離れた福田の時から本人によるファンへの呼び掛けのメッセージの中などで使用されており、1999年に出版された自伝『もうひとりの明日香』に収録された年表には「モーニング娘。を卒業、芸能界を引退」と表記されている。
また、使い分けの事例として、
2007年9月に出版された公式本『モーニング娘。誕生10年記念本』に掲載された年表では、矢口と藤本のみが「脱退」、その他のメンバーが「卒業」
2008年4月25日放送の『音楽戦士 MUSIC FIGHTER』(日本テレビ系)で紹介された「モーニング娘。メンバーの変遷」では、福田から市井までと矢口・藤本が「脱退」、その他のメンバーが「卒業」
となっていた。
メンバーの記載順序 [編集]
公式本やコンサートのパンフレットなどの公式出版物や公式サイトなどでは、メンバーの名前を並べる時に、通常は加入時期順で、加入時期の同じ者は生年月日順で記載している[3]。マスコミ報道などでもこの順序が使用されることが多い。なお、リーダーやサブリーダーについては過去にこの順序を適用した場合に先頭や2番目にならない時期があったが、そのような場合には順番を変更してリーダーとサブリーダーがそれぞれ先頭や2番目になるように記載する場合もあった。また、卒業したメンバーの名前を並べる時にはこの順序が使用されている場合[4]と卒業・脱退の時期が早い順番で並べられている場合[5]とがある、また、在籍期間などを比較するためのメンバーの変遷表などでは、在籍しているかどうかに関係なく、全員を上記の順序で並べられていることがある[6]。
モーニング娘。さくら組やモーニング娘。おとめ組といった派生ユニット内でメンバーの名前を並べる時も、通常はこの順序である。