年寄り二人で暮らすというのは、ひどく不安なことだ。元気であれはあるほどそうだった。実際に祖母といた時、そんなことは考えたこともなく楽しくやっていたけれど、今振り返るとそう思えてならなかった。
私は、いつもいつでも「おばあちゃんが死ぬのが」こわかった。
私が帰宅すると、TVのある和室から祖母が出てきて、おかえりと言う。遅い時はいつもケーキを買って帰った。外泊でもなんでも、言えば怒らない大らかな祖母だった。時にはコーヒーで、時には日本茶で、私たちはTVを観ながらケーキを食べて、寝る前のひと時を過ごした。
小さい頃から変わらない祖母の部屋で、たわいのない世間話とか、芸能界の話とか、その日一日のことをなんとなく話した。雄一のことも、この時間に語られたように思う。
どんなに夢中な恋をしていても、どんなに多くを酒を飲んで楽しく酔っぱらっていても私は心の中でいつも、たったひとりの家族を気にかけていた。
部屋のすみに息づき、押してくるそのぞっとするような静けさ、子供と年寄りがどんなに陽気に暮らしていても、埋められない空間があることを、私は誰にも教えられなくてもずいぶん早くに感じとった。
雄一もそうだと思う。
本当に暗く淋しいこの山道の中で、自分も輝くことだけがたったひとつ、やれることだと知ったのは、いくつの時だろうか。愛されて育ったのに、いつも淋しかった。いつか必ず、誰もが時の闇(やみ)の中へちりぢりになって消えていってしまう。
そのことを体にしみ込ませた目をして歩いている。私に雄一が反応したのは当然なのかもしれない。
Hi MilkyBlue-san. I am Yukino-san's friend. I hope my recording will help you. :)