このテクストは水木しげるの「日本妖怪大全」にあります。よろしくおねがいします!
石見の牛鬼(いわみのうしおに)
昔、石見(島根県)魚津浦に釣り好きの男がいた。ある夜のこと、ただ一人で海辺で竿を横たえた。その夜はいつになく獲物があって小さな魚籠にあふれるばかり。すると、とつぜん海の中から怪しい女が胸に赤子をだきながら現われ、「どうぞこの子に魚をいっぴき食べさせてください」と乞うた。
また一ぴき、また一ぴきと乞われるままにあたえているうち、魚籠の中にはもう一ぴきもないまでになった。すると女はずうずうしくも、「どうかお腰のものでも食べさせてください」というので、試みに刀を抜いてあたえると、それも白い歯を見せてバリバリ噛んでしまうというしまつ。
このとき女はまた、「どうかすこしの間、この子をだいてください」とむりに男にだかせ、すきを見て自分は海中へ消え失せた。そのとたんにものすごい波が起こり、中から真っ黒な大きなものがほえながら現われた。
このありさまに男もすっかりおどろき、一目散に逃げだそうとしたが、はて不思議、だいている赤子は重い石になって、なんとしても手からはなれない。まごまごすれば怪物にしてやられる。今は絶体絶命、重い石をかかえたまま海岸を走りつづける。怪物はすごい音をたててうしろから追ってくる。
このとき、男の家で変事が起こった。代々伝わる銘刀がしぜんに鞘を脱し、矢よりも速く虚空を飛んでいったのだ。そして、たちまち「牛鬼」の首に突きささり、男は危いところを助かった。銘刀を失っても、一命をとりとめたことはありがたいと、男は銘刀の鞘を長く神として祀ったという。