弟さんにその話をすることが先決ではないでしょうか?殺すのは残酷だと思います。話し合ってから魚に処置をしてあげてください。
苦しまないように殺すのではなく、苦しまないように飼うことを考えるべきではないでしょうか?はっきり言って、この場合はどう考えても悪だと思いますよ。彼には命の尊さをしっかりと教えるべきです。それが大人の責任です。あなたは今すぐに殺されたいですか?
僕は、とても苦しい状況に置かれて死に逝く人、生物が安楽死を自ら「心底」望めば(人間以外の場合、望んでいるのは分かりませんのでその人の主観になってしまうのですが、「明らかに」苦しい、そして確実に死に至る状況に置かれている場合)、安楽死は悪ではないと思います。この場合、水槽を適切な場所に移せば瞬時に解決する話(それとも、適切な場所に移しても確実に死を免れることはできないほど瀕死な状況なのですか?)です。ですので、「僕は」適切な場所に移し、自然死を選びます。
動物の生命をどう認識するかは暮らしている文化によって異なりますよね。(動物と人間の境界の置き方も異なります。)だから、簡単に、こうするべきだと決めつけることなんて僕にはできません。何を尊厳として、何を残虐とするかは、ある意味、人間の勝手な価値観が決め付けるものです。押しつけようとする気は全くありませんが、僕の勝手な価値観から言うならば、その魚を殺すことに僕は賛成しません。これは個人的な価値観からくるものなので、理由はありません。僕がPhilipさんの立場ならば、魚をちゃんとした場所に移して、飼いたいと望んだのだから責任を持って飼いなさいと弟さんを諭すだろうと思います。
意図的にフィッシュという言葉を使っていたのかもしれませんが、「魚」の方が自然な感じがしました。あと、「べた」という単語が固有名詞に近い感じで使われていたので、魚を指すときは「べた」になおしました。
その闘魚には名前はありますか?まだなければ弟に自分で名前をつけさせてみて下さい。名前をつけると自然に愛着が沸きます。ほったらかして死なせた時、悲しく感じると思います。その時は、命の大切さを知ることが出来るいい機会になると思います。闘魚にとっては迷惑な話かもしれませんが。。。ということで、僕の答えは”弟さんが自覚を持てる形での自然死を待つ”ですね。
安楽死については賛否両論ですが私は賛成派です。最期は本人か家族が決めるべきだと思います。
弟にどんな子に育ってほしいのか、フィリップさんはどう思っているのか、どうしたいのか。意見が食い違うならばどうしたら合致するか。ちなみにベタのエラは日本語では「ラビリンス器官」といいます。私の飼っていたベタは水槽を軽く指でたたくと近寄ってきて。「私を見て!」とヒレを動かしていました。水槽に向かって「ただいま、あおたん!」といっていたものです。2年前に死んでしまいましたが、とても楽しい日々でした。
録音で、なにか問題があったら、教えてくださいね。
もっと ゆっくり話した方がいいですか?
この文章は フィリップさんが自分で書いたものですか? ^0^