戦後の活動
1783年12月23日、ワシントンはアナポリスのメリーランド州会議事堂で陸軍最高司令官の辞任を議会に申請した。この辞任は成立間もない国家にとっては大きく重要で、軍人ではなく文民から公式に選ばれた大統領が最終的な権威を保持することとなった。ワシントンは絶大な権力を保持することが出来たかもしれず、実際彼の熱心な支持者の間には彼を永久的な統治者にしようとする動きがあった。しかし彼は多くのアメリカ合衆国建国の功労者同様にそのような考えを憎悪した。これは権力を拒否した古代ローマ共和制の理想的市民指導者キンキナトゥスの例に倣ったものであった。
ワシントンが退役したとき、階級は中将として登録されていたがこれは大陸軍で最高位の階級であった。
ワシントンは説得されて1787年夏のフィラデルフィアで開催された憲法制定議会に出席し、満場一致で議長に選出された。ワシントンは議論の場には出席しなかった(様々な条項の賛否を決する場にのみ出席した)が、彼の存在が出席者達の連帯感をつなぎとめ討議を続けさせる役にたった。議会の代議員達は心の中でワシントンを国の代表とする姿を描き、一旦選ばれたからにはワシントンがその執務のやり方を作り上げることを許した。憲法制定会議が終り、ワシントンがその憲法を支持したことで、バージニア議会を含み多くがその批准に賛成票を投じた。全13州が新しい憲法を批准した。
彼はおよそ8,000エーカーの農地を所有したが、当時広大な農地を持っていたにもかかわらずその生活は貧しく多くの現金を手にしたことはなかった。実際彼は大統領に就任しニューヨークに転居するために600ポンドの借金をしなければならなかった。
本当にありがとうございます!