このスピーチを自分で書いたんですが、来月スピーチコンテストで多くの人の前に立って朗読します。そういうふうに、感情を含めて読んでください。タイトルや「1,2、まとめ」などを読まなくていいです。よろしくお願いします。
倒れない国
その時は、ちょうどシャワー室から出たところでした。小さな揺れからすぐに激しくなってきて、体のバランスをとることさえ出来ませんでした。パニックになり、急いで洋服を着て、部屋から飛び出しました。激しい揺れの中階段を降りるのは、おそらく今までの人生で一番怖い経験だったと思います。階段の壁がゼリーみたいにグニャグニャと歪んでいました。外に出て、建物から十分に離れ、「よかった、大丈夫だった」と思いました。しかし、それから地震に関わる状況はさらに悪化しました。私一人だけではなく、被災(ひさい)された全ての方々にとっても、です。
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地震のパニックが収まった後も余震が続いていたので、1階にあるロビーにいました。そしてその時、初めて津波とその被害の大きさについて知りました。岩手県と宮城県の状況がテレビに映し出されていたのです。急にとても心配になりました。なぜなら、岩手県遠野市にトニーという友達がいて、地図で見ると、海からそう遠くはなかったからです。アメリカのトニーの家族とも、私が必ず彼と連絡をとると誓いました。色々な場所に電話をして探し、三日目にやっと遠野市の事務所に電話がつながって、彼が避難所にいることがわかりました。ホッとして涙が流れてきました。でも、その日、私の住んでいた埼玉では、放射線量が普段よりも38倍多いというニュースがあり、とても恐ろしくなりました。すごく混乱して、その夜すぐに大阪の友達の家に行き、2週間ぐらい滞在(たいざい)させてもらいました。しかしその後、アメリカの大学と家族から、すぐに帰って来るようにと言われ、結局そのまま6ヶ月早く帰国することになりました。
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日本に留学することは昔からの夢だったので、途中で帰らなくてはいけないことに、言葉にならないぐらいガッカリしました。アメリカに帰った後は、後悔するばかりでした。東京と埼玉にいる友達に「さようなら」さえ言えないまま、大学に帰って来いと言われたときに、なぜ抵抗しなかったのか。しかし、そんな後悔と同時に、毎日日本のニュースを見ながら、日本人の強さや、思いやりの心に感心しました。多くの人が毛布やお金、食べ物などを寄付しているのを見ました。また、日本人が秩序を守り、どこでもきちんと列に並んでいる状況や、破損(はそん)した道路や建物を、急速に復旧(ふっきゅう)させているのを見ました。私は、日本の素晴らしさを実感しました。
その震災を通して(とおして)、私は自然の恐ろしさを痛感しました。人生が急に一変(いっぺん)するという可能性が、いつでも、誰にでもあるということや、人の命は儚(はかな)いものだということも分かりました。しかし同時に、その時まで私の好きだった日本は、大好きな日本になりました。日本人は、まるで地獄を見ているような状況にいるにもかかわらず、他人への気遣いを忘れず、自分の国を誇りに思い、凛としていました。
まとめ
だから、今、私は日本に帰らなくてはいけないのです。日本を信じ、愛しているからです。日本にいた時、「時間はたくさんあるから、今日はしなくていい」と思うことが何度もありました。日本に帰って色々経験したい。札幌の雪祭りに行きたい。広島の原爆ドームを見に行きたい。福島に行きたい。どんなに大きな壁があっても、何が何でも必ず日本に帰って、やりたかったことを全てやりたいです。これからの日本の復興(ふっこう)と歩(あゆ)みに携(たずさ)わるために、日本で生活したいです。ご清聴をありがとうございます。