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有罪評決のいきさつを示すメモ
アザリア・チェンバレン失踪事件
1980年8月17日、当時エアーズ・ロック(当時の名称、現在はウルル)の近くでキャンプしていたリンディとマイケルのチェンバレン夫妻の娘アザリアちゃんがテントから行方不明になった。
この事件でリンディさんが有罪判決を受けたがその後の控訴で逆転無罪を勝ち取った。8月9日付のニューズ・リミテッド系紙が、NT警察の捜査資料に隠されていた陪審員の秘密メモを報道した。この手書きのメモは、リンディさんが有罪評決を受けた経過に光を当てている。
当時の社会の見方もそうだったが、陪審員も女性がリンディさんに非常に厳しい見方をしており、教師1人、専業主婦2人の女性全員が有罪意見だった。一方、男性は9人のうち4人が、有罪意見にはためらいがあった。1人の専業主婦は、「卑劣な奴(dingo)を信じるものか(ディンゴ説が信じられないとも取れる)」と発言しており、もう1人は、「リンディを有罪にするつもりだが、Mrs C(Mrs. チェンバレン)の犯行とは思えない」と発言している。
ニューズ・リミテッド系紙は、「アザリア・ファイル」は、警察文書や証拠資料で145箱にもなり、その歴史的な重要性から国立文書館で保存されることになる。メモは陪審団長を務めた公務員が書き込んだと見られるもので、1982年にダーウィン裁判所で7週間の審理の後、陪審員が評決にたどり着くまでの苦闘が記されており、特に、ディンゴが娘を連れ去ったとのリンディさんの主張を退け、アザリアちゃん殺害で有罪判決を下す過程がつぶさに描かれている。マイケルさんも事後従犯で有罪判決を受けた。
6年後、アザリアちゃんのジャケットがボロボロになった状態でウルルの麓で発見され、2人は全面的に無実判決を勝ち取った。
これ以上の早口は無理。