この文章の雰囲気...そのように読んでください。よろしくお願いします。
・「打つ手がまったくない」ということは、ない。
「千里の道も一歩から」なのだから、
頭から汗どころか、血が出るほど考えろ。
ぼくは、よく、そういう考え方をします。
「へたに動かないほうがいい」ということは、ある。
「犬も歩けば棒に当たる」ということは、ある。
「天は我が身を助くるものを助く」ということはある。
「果報は寝て待て」ということもある。
ああすればいい、こうすればいい、と、
昔から人はいろいろやってきたのですから、
いろんなヒントがあるものです。
状況に応じて、まったく逆のことも言えるものですが、
止まることも、戻ることも、曲がることも含めて、
「打つ手がまったくない」ということはない。
これだけは、ほんとだと思います。
・前にも書いたことがありますが、
2010年の夏に起こった「チリの鉱山落盤事故」のこと。
地下の坑道に閉じこめられた人々が、
18日間も、地上との連絡ができないままだった‥‥。
会社を訴えるとか、誰かのミスを責めるとか、
そんなことをしていても、なにも解決しない。
でも、息をし続けること、心臓を動かし続けること、
地上に出たいと思い続けることが、
結局は「地上」とのつながりを得たわけです。
最も策の練りようのない場面でも、
「生き続ける」ために考えることがあったんですよね。
「打つ手がまったくない」ように思える地の底でも、
まったくないわけじゃない、だったのです。
まぁ、悲観主義者は、言うかもしれません。
「そのまま、発見されずに、死を長引かせて死ぬ‥‥。
その可能性のほうが高かったんじゃない?」
そうかもしれない、そうなったのかもしれない。
あなたが、そう考えるのは自由です。
でもね、ぼくは、言うでしょう。
そんなふうに悲観しながら生きる練習を、
ぼくらは、してこなかったんだよ。
今日も「ほぼ日」に来てくれて、ありがとうございます。
豪雨の被害にあわれた方に、慎んでお見舞い申しあげます。
これも、ありがとうございます!