忘れがたい記憶として心に残っている親子がいる。勉強が苦手で、運動も苦手。場の空気もうまく読めない。いじめの対象にならないか心配で、私もその子の状態に注意しながら、指導していた。ある日、家庭訪問をした。お母さんと話をしていたところ「私は親というものがどうすべきものかわからない。いつも迷ってばかりで、こどもといるのがつらい」と言う。幼少のころ家庭環境に恵まれず、家庭や家庭に幸せなイメ-ジを持てないでいるつらさが伝わってきた。私は衝撃を受けた。それまで家族の喜びを、当たり前のものとして考えていたからだ。だが、そのお母さんの言葉は、家庭のいる幸福が決して当たり前でなく、学習や経験をして初めて得られるものだということを示していた。以後思う。子どもにも大人になっても幸福な生活をくらせたいなら、まず子どもの今を幸せに生かしてやることだ。ところが、受験競争の中で睡眠時間を削って勉強し、成功をつかんだ若者は、睡眠時間を削ることを恐れない。ビジネスマンとなっても、睡眠時間を削って働く。子どものころ家族だんらんなどに縁のないまま育ったとすると、親になっても、その必要を感じないことだってあるだろう。[陰山英男]
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