Natural speed please.
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ファミリーコンピュータ (Family Computer) は、昭和58年(1983年)7月15日に任天堂より発売された家庭用ゲーム機。メーカー希望小売価格は14,800円。型番はHVC-001。HVCはHome Video Computerの略である。日本国内での略称・略記はファミコン・FC。平成25年(2013年)7月15日に発売30周年を迎えた。
ゲーム&ウオッチの事業を成功させた任天堂が、その利益を投入して開発した家庭用ゲーム機である。当時アーケードゲームで人気を博していたドンキーコングが見劣り無く家庭で遊べる程度の性能を目標に設定して開発された[3]。
開発は1981年11月[3]頃より、当時業務用ゲーム事業の縮小によって[4]手の空いていた開発第二部[3](上村雅之らアーケードゲームの開発陣)が行った。開発開始の直前にコレコ社がコレコビジョンの試作品を任天堂に持ち込んでおり、その性能に開発第二部の技術者たちは驚くとともに、今後開発すべき製品のイメージとしてコレコビジョンを据えた[5]。「ファミリーコンピュータ」の名前は上村雅之が付けた(上村が名称を妻に伝えたところ、妻は「日本人はファミコンて略すに決まってる」と言ったという)。本体にえんじ色が使われているのは当時の社長の山内溥が好きな色だったためで、社長命令により決定[6][7]。8ビットCPUを搭載し、ゲーム機本体のスロットに差し込むロムカセットを交換することにより様々なゲームを楽しむことができる。当初はアーケードゲームが家庭で出来ることをセールスポイントにしており、製品パッケージにも『家庭用カセット式ビデオゲーム』と銘打たれていた。本体と同時発売したローンチタイトルは『ドンキーコング』、『ドンキーコングJr.』、『ポパイ』の3本であるが、ほどなくして『五目ならべ 連珠』と『麻雀』が発売され、その名の通り「家族みんなで楽しめる[8]」ラインナップが揃った。その直後に発売された『マリオブラザーズ』の後は2か月以上新作が途絶えていたものの、既出のアクションゲーム4本は全てアーケード版で実績のある移植作であり、雑誌評価でも好評価を得ていた[注釈 1]。アーケードで既に知名度のあるソフトウェアを移植するこの手法は宣伝費の削減に貢献した[3]。当時、汎用ICを搭載していることが多かった他社のゲーム機やパソコン等と比較して、グラフィック面に特化して設計されており、80年代前半のアーケードゲームと比べてもあまり遜色の無いグラフィックを高いフレームレートで描画できた(例:スーパーマリオブラザーズ)。
販売状況は発売当初こそPPUのバグの発覚による出荷停止があり振るわなかったものの[4][注釈 2]、徐々に人気化し1年間で300万台以上を販売した[4]。1985年には『スーパーマリオブラザーズ』を発売。この作品は大ヒットとなり本体の販売にも大きく貢献し、家庭用ゲーム機の市場を大幅に拡大させていった。同年、アメリカでNintendo Entertainment System(ニンテンドーエンターテインメントシステム、略称:NES)として発売され、アタリショック以来冷え込んでいたアメリカのテレビゲーム産業を復活させた[注釈 3]。
最終的な出荷台数は全世界累計で約6,291万台を記録した。内訳は日本で約1,935万台、日本以外で約4,356万台である。
現在、ファミリーコンピュータの一部のゲームソフトはWii・Wii U・ニンテンドー3DSの配信サービスであるバーチャルコンソールでもプレイ可能である(ただし、いわゆるポケモンショックの影響により画面の明度が下げられていたり、点滅表現が抑えられているなどの修正が加えられたソフトが多数ある。)。