This is just a passage from one of my old textbooks. Please read at natural speed. Thank you!
生で食べるか、焼いて食べるか
「ごちそう」とはどんな食べ物のことか、フランス人の友人と話し合ったことがある。私が「生きのいい魚を使った刺し身が一番先に浮かんだ」と言うと、その友人は「ごちそうというのは、やっぱりじっくり焼いておいしいソースをかけた肉料理かなと答えた。国による違いであろうか。もちろん、好みは人によってさまざまだから一概に言えないが、私たち二人のイメージを象徴する三角形の図を思い出した。
以前目にしたレヴィ=ストロースの「料理の三角形がそれである。レヴィー=ストロースはこの分析によって食文化論に大きな影響を与えたフランスの文化人類額者で1967年に「テーブルマナーの起源」の中でこの三角形を提示している。その著書で、食べ物は「生きのもの」と「火にかけたもの」と「発行したもの」に分類できると述べている。「生きのもの」とは言うまでもなく自然のままのもののことである。それを料理した文化的変形が「火にかけたもの」、放置した自然的変形が「発行したもの」としている。つまり、生きのものは文化的変形も自然的変形も加えられていない未開の存在であると定義している。
このことは友人が言ったごちそうのイメージに通じるものがある。ストロースも友人も手を加えた料理をプラスイメージで捉えている。加工なくして料理とは言えないのである。フランス語の料理するという意味の言葉は「キュイジーヌ(cuisine)」で、焼く、煮る、ゆでるという意味だ。同様に、英語の「クッキング(cooking)」も中国語の「ポンチィャオ(烹調)」も熱を加えて処理するという意味を持ち、日本語の「料理する」の方が意味領域が広い。前者においては、熱を加えていない刺し身は原始的で、文化からほど遠いということになるのだろう。つまり、「手の込んだソースがたっぷりかかった料理」は文化的で、素材に近い刺し身は料理されていない未開の食べ物ということになってしまう。しかし、「生き物→新鮮なもの→ごちそう」という感覚を持つ日本人にすれば生きのいい魚の刺し身、特に生け造り上等な料理の一つである。そこでは、いい素材を選び、新鮮なうちに手際よく料理してきれいに盛り付けることが、一流の料理人の腕とされている。生が一番という魚料理に対する価値観は、「生で食え、焼いて食え、煮て食え、捨ててしまえ」という序列をつけた言葉の中にも見ることができる。
「生きのもの」をよしとするか、「火にかけたもの」をよしとするか、調理法とそれにともなうイメージも文化の違いが見られる。