自然なスピードお願いします。
ちょっと切って下さい
長電話のことはいくどか話題になっていたけれど、もう一度書きたい。先日息子が入院しているとき、病院で私は家に急用を思い出した。待合室の公衆電話に十円玉を持っていくと女の人が一人かけていた。その人は電話機の前で頭を下げながら「ではそういうふうに、よろしくおねがいします」としべっている。この分なら話も終わりらしい、と側に立っていたのだがなかなかそうではない。「それからあのう、○○さんはどういたしましょうか。そうでございますね。いいえ、でもあんまり、いいえ、はい、はい、この間おっしゃった、あれにしましょうか。ええその方が、いいえ、やっぱり、でも、あのう」などと延々とつづき、又「ではそういうことにしてくださいませ」と終わりそうになっては「それから、あのう」ときりもなくつづくのだ。なんでもお見舞いのお返しの品や、世話になった看護婦さんのお礼の品などをきめているらしいのだが、一つが済むと次のことを思い出す。誰でも電話でものごとを相談する時はあるし、用事によっては長電話にもなる。しかし公衆電話だということを考えてもらえないのだろうか。私は、十五分待っても切れないので、仕方なく三階にあるもう一つの公衆電話まで階段と長い廊下を息を切らして飛んでいった。するとここにも女の人が一人。「それがあんまりひどいじゃないの。私に対して、あの人ったらこんなことをいうんですもの。ええ、今晩ゆっくり話すけどね。あんまりくやしいから。。。」とかなんとか、ここは深刻な話らしく、私が待っていることも気がつかずにまくしたてている。しびれをきらして一階にもどると、なんとさっきの買物の相談はまだつづいているではないか。とうとう私の「急用」は果たせないままに時間が過ぎて間に合わなかった。
こういう時「ちょっと一度切っていただけませんか。私は急用だし、すぐすみますから」といってもいい習慣をつくってはどうだろうか。又公衆電話に限らず、自宅どうしでしゃべっていても、誰かがほかから急用でかけているかも知れないから、間で相談して切って見るのも親切なことだと思う。電話が発達して世の中がもっと便利になるためには、使う方も心を配らなければなるまい。