http://globalvoicesonline.org/2013/08/10/spirited-away-director-criticizes-plans-to-amend-japans-pacifist-constitution/
憲法は目標であって、条文をよくしたら貧乏人がいなくなるとか、そんなことあり得ない。でも、戦後の日本は、 その憲法に守られながら行ってきた経済建設のお陰で、他 の国々の人々から収奪したお陰もあるかもしれないけど も、飢え死にしている人を見かけることなどはほとんどな い国になれました。本当にある時期までは、戦後立 てた目標を実現しようと、公平な社会をつくろうと、右翼 の政治家たちも随分やってきたと思いますよ。 それが、経済的にもうこれ以上は無理となると、「この 制度はいけないんじゃないか」とか、「生活保護制度がいけないんじゃないか」とかいろいろ言う。どんな制度でも 悪用する人間は必ず現れますから、それを例にして潰すの は間違いです。
憲法を変えることについては、反対に決まっています。 選挙をやれば得票率も投票率も低い、そういう政府がどさ くさに紛れて、思いつきのような方法で憲法を変えような んて、もってのほかです。本当にそう思います。もちろん、憲法9条と照らし合わせると、自衛隊はいか にもおかしい。おかしいけれど、そのほうがいい。国防軍 にしないほうがいい
僕、日本が憲法九条を持っているって、海外の人はほと んど知らないと思う。だって自衛隊があるしね。そっちを 知っているわけでしょう。だから日本が世界にアピールす るとしたら、九条ですよね。これだけの平和は、九条がな ければあり得なかったわけですから.
そもそもいま憲法改正に、みんな、そんなに興味あるん ですかねぇ。そうじゃないでしょ。そんなことより、自分 たちの生活をどうするんだってことの方が大変で。だから、 僕は、政治家の独りよがりだと思っています。
私の憲法第九条に対する思いは、これは全世界で実現すべき素晴らしい理想の旗であり、日本はこの憲法第九条を 外交の中心に据えるべきである、ということに尽きます
私は、『火垂るの墓』を作る前も、今も、真の意 味で反戦ということで言うならば、こういう映画はたいし て有効ではない、と思い続けてきました。戦争がどんなに 悲惨かは、過去のことを振り返るまでもなく、現在、日々 のテレビのニュースでも目撃できます。しかし、どの戦争 も、始めるときには悲惨なことになると覚悟して始めるの ではありません。(中略)いまは、戦争末期の悲惨さではなく、あの戦争の開戦時 を思い出す必要があると思います。それまで懐疑的だった 人々も大多数の知識人も、戦争が始まってしまった以上、 あとは日本が勝つことを願うしかないじゃないか、とこぞ って為政者に協力しはじめたことを。有名人をふくめ、ほ とんどの人が知性や理性を眠らせてしまい、日本に勝って ほしいとしか願わなくなっていたのです。この情けない私たちに歯止めをかけるすべはあるのでし ょうか。知性や理性を眠らせないですむ方法はあるのでし ょうか。 そのための根本理念が、憲法第九条なのではないかと私 は思います
TakamoriTarou web, 社会 高畑勲氏の話が興味深い。火垂るの墓等アニメが反戦を訴るから改正されても戦争にはならぬと言う意見に対し、これは「泣ける」と感情が価値基準だから裏返れば開戦の熱狂は簡単に起き、故に歯止めが必要だと説いてる
宮﨑駿氏が「慰安婦の問題では謝罪と賠償すべし」と書いたとのことだったので、冒頭の氏の文章を、つまらなかったのだけど我慢して読んだ。 結局、謝罪と賠償すべき論理・論拠が展開されてるわけじゃなく、単に「すべし」と書いてあるだけ。