概要 [編集]
1988年にTERU・TAKUROを中心に結成。その後、TAKUROの高校時代の友人であったHISASHI、さらに、上京後、地元が一緒で顔見知りだったJIROを加え、1994年5月25日にシングル「RAIN」でメジャーデビュー。1995年、「Yes, Summerdays」が注目を受け、1996年に「グロリアス」がヒット。その後、2ndアルバム『BEAT out!』がオリコン初登場1位を獲得。以降、「BELOVED」「口唇」「HOWEVER」などがヒット。1997年に発売のベストアルバム『REVIEW-BEST OF GLAY』が、当時の歴代アルバムセールス1位の約488万枚を記録し、1998年から1999年までのベストアルバムブームのきっかけとなった。また、1998年2月には、コンサートチケット予約の電話が殺到して電話回線がパンクするという事態も起き、その出来事が新聞に掲載されるほどにまで人気が絶頂した。
それ以後も、1998年に同時リリースされた「誘惑」「SOUL LOVE」など、ヒット曲を連発。「サバイバル」が、歴代ビデオシングル1位を記録。1999年3月には、東京ドームで5日間のライブを決行。同年7月31日、幕張メッセ屋外有料駐車場で『MAKUHARI MESSE 10TH ANNIVERSARY GLAY EXPO'99 SURVIVAL』を行い、2010年現在日本最多、有料ライブに限れば世界最多の約20万人を動員した。12月には「Winter,again」で、第41回日本レコード大賞を受賞(後に、レコード大賞受賞を巡り、解散の危機になっていたことが明らかになった)。また、同じEXTASY RECORDSからCDをリリースしたLUNA SEAと、1999年12月に、東京ドームで対バンを行った。この1998年から2000年は、ビジュアル系ロックバンド全盛期と呼ばれ、L'Arc〜en〜Cielと共に、当時の音楽界を牽引していった。GLAYは、自らヴィジュアル系を名乗るなど肯定的な姿勢を示していた(現在のGLAYについては、ヴィジュアル系ではないとする見方が強いが、メンバー自身は特に否定的ではない[2])。
2000年代に入ると爆発的な人気は収束を見せるが、以降も度々GLAY EXPO等の大規模野外ライブを行い、また2010年現在まで、シングルまたはアルバムで各年ごとに少なくとも1作品はオリコンチャート週間1位を獲得しており、ファンの支持は根強い。この年代において特筆すべきライブとしては、2002年、日中国交正常化30周年を記念して、北京にて『GLAY ONE LOVE in 北京』を決行したことが挙げられる。この時には中国最高指導者江沢民への表敬訪問を実現した。
2005年に事務所を独立、2010年には自主レーベルを設立するなど、近年は独立志向が強いが、デビュー以来2010年現在に至るまで活動休止を宣言したことはない。新譜の発売やライブ活動を毎年コンスタントに行っており、総じて精力的に活動を続けている。
2010年現在、シングルでは「口唇」「HOWEVER」「誘惑」「SOUL LOVE」「BE WITH YOU」「Winter,again」「ここではない、どこかへ」「とまどい/SPECIAL THANKS」の8作品が、アルバムでは『BELOVED』『REVIEW-BEST OF GLAY』『pure soul』『HEAVY GAUGE』『DRIVE-GLAY complete BEST』の5作品がミリオンセールを記録している。(文化庁所管の日本レコード協会調べ)
現在、レコード会社は「フォーライフミュージックエンタテイメント」に、レーベルはメンバーが自ら設立した「loversoul music & associates」に所属している。ただし、自主レーベルに所属しているとはいえフォーライフミュージックエンタテイメントは日本レコード協会に所属しているので、GLAYはインディーズではなくメジャーである。