世の儒者は師を信じ、古を是とする癖がある。聖賢の言はみな深い省察から出た言葉であるとして、疑をさしはさもうとしない。そもそも聖賢が慎重な用意のもとに筆を執って書いたものでも、ことごとくが真実であるとは保証できね。いわんや卒然と吐かれた言葉においておや。……古人の才は今人の才にひかならず、今日のいわゆる英傑は古のいわゆる聖・神に当る。されば孔門の七十子が聖神にして、市場その比を見ずと称せられるのも、もし、かりに孔子という師が今日の人であったとすると、現代の学者でもみな顔淵・閔子騫の徒ということになるのである