自然なスピードいいです!
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「 パーフェクトブルー』 には竹内義和の原作小説があったが、 本作以後『 パプリカ』 までは今敏オリジナル作品が続く。 その嚆矢となるのが『 千年女優」 で、 ドリームワークスによる世界配給という快挙を成し遂げ、 世界進出への鍵ともなった作品でもあるOこれは「 輪廻」 と「 繰りかえし」 によって「 千年の時を超える」 女の物語である。 同時に映画と映画女優を使って「 映画そのもの」 の本質を追究する「 メタな視点」 が貫かれている。 大女優であった千代子が老境で語る身の上話は、 回想か夢なのか映画内映画の記憶なのか…… oどこに連れていかれるか予測不能な、 ジェットコースター感覚を楽しむ作品であるo全編を通じて伝わってくるのは「 鍵の君」 を追い求める激しい情熱と、 それが行動に転化された疾走感である。 そんな情念に引きずられながら虚実はやがて混然一体となっていく。 散りばめられた時代時代の映画が放つ映像のきらびやかな断片0女子高生、 時代劇の姫、 忍者、 花魁、 明治の女学生、 博士、 宇宙パイロットなどなど、 千代子の役柄、 衣装も早変わり。 それはまた「 映画の華』 の記憶でもある。 今は老婆の千代子は、 その虚構
の中でいつも変わらず活き活きと美しく活躍する。 ふたつの姿が同一人物というところから、 虚実の境界がゆらぐ幻惑感が発生する。 語られるテーマは、 「 人の想いは時間を超越できるか? 」 というもの。 映画表現との親和性の高さは、 時間をコントロールすることで感情を生み出す芸術である根幹にも関係している。 「 編集」 という技法により、 別々の時空間に属していた映像を連続していると錯視させ、 逆に連続した時空間を分断、 圧縮、 伸張、 逆接することさえ可能0こんなふうに時間を操れる機能をもつという点において、 映画とはタイムマシン的な装置と言える。 だからこそ、 人間の夢や記憶に近しい感覚を創出できる。 こう考えればTH年女優』 のもつ構成や感覚の特質も理解できるようになる。 たとえば記憶とは事実を正確に保存したものではなく、 認識というフィルターを通って解釈が加わったもの。 その点では夢と変わらない。 夢が虚構で記憶が事実という明解な区分けは、 実はないのである。 だとすればその「 虚実」 を完全な映像コントロールによって混淆してみたら、 そこにどんな感覚が生まれるのか?