Glocal2041 I try to imitate this Japanese talk, please help me to record this audio. Thank you.
http://www.ted.com/talks/lang/eng/derek_sivers_weird_or_just_different.html
「あらゆるものは別な見方ができる」とよく言いますが、それが思わぬところで当たっていることを、デレク・シヴァーズが2分間で示して見せてくれます。
アメリカで道に立っていたとしましょう そこへ日本人がやってきて質問をします
「すいません この区画は何という名前ですか?」
「何? ああ こっちがオーク通りで あっちがエルム通り これが26番通りで 向こうが27番通りです」
「それで この区画の名前は?」
「区画に名前なんてないですよ 名前は道についていて 道の間にある名前のない部分が区画です」
彼は頭を混乱させ がっかりしながら歩き去るでしょう
今度は逆に日本のどこかの道に立っていて 誰か近くにいる人に聞いたとしましょう
「すいません この道は何という名前でしょう?」
「はい 向こうが17番地で こっちが16番地です」
「じゃなくて この道の名前を知りたいんですが?」
「道の名前なんてありませんよ 名前は区画についています Google Mapsを見てください これが14番 15番 16番 17番 18番 19番地です 区画にはみんな名前があります 区画の間の名前のない部分が道です」
「それだと家の住所はどうやってわかるんですか?」と聞くと
「簡単ですよ ここが8丁目でしょ その17番地の 1号の家です」
「少し歩き回ってみたけど 家の番地が順番になってませんでしたよ」
「そりゃそうです 建てられた順に番号は付きますから この区画で最初に建った家が1号になります 2番目に建てられたのが2号 3番目の家が3号 簡単です わかりきったことでしょう?」
これだから私は時々地球の反対側を 訪れるのが好きなんです 自分たちが意識せずに仮定していることや その逆だって正しいものでありうることに 気付かせてくれます
たとえば中国の医者は 人を健康に保つことが仕事と考えられています だから健康なら医者にお金を払います 病気になったらお金は取られません 医者は病気でなく健康で儲けるんです (拍手)
私たちは音楽で「1」を ダウンビート 音楽の初めに使います 1 - 2 - 3 - 4 しかし西アフリカの音楽では 「1」はフレーズの終わりです 文章の終わりのピリオドのようなものです フレーズの中ではなく 区切りとして聞くのです 2 - 3 - 4 - 1
そして これもまた正確な地図なのです (笑)
「何であれ正しいことの逆はまた正しい」という言葉が インドにはあります だからTEDやその他の場所で 素晴らしいアイデアを耳にしたら 思い出してください その逆もまた正しいかもしれないと ドウモ アリガトウ ゴザイマシタ