自然に話してくださいね!長い記事にして、申し訳ないですが、複数録音してもいいです。ありがとうございます!
廃墟には冒険があり、私はそこに魅力を感じました。行ってはならないような見捨てられた建物を探して、忍び込むスリル。前の時代から残されたものが散らばる、長い間見放されてきた部屋や廊下を見つけ、残された歴史のかけらをかき集めるわくわく感。私はカメラを手に、荒れ果てた建物を記録するために向かいます。最初の目的地は北イングランドにある古い病院でした。どきどきしながらも軽い足取りで歩き回りました。
ここを曲がれば何が潜んでいるのだろう? この建物が見捨てられたのはなぜ? ここは本当に安全に歩けるのだろうか? 私は各部屋で出合うさびた遺物を撮り続けながらも、徐々に頭の中で当時の建物を描いていました。今すぐ落ちそうな状態でぶら下がっている看板や床に散らばる古びた患者のカルテなど、実におもしろいです。
その頃私は大学生で、哲学と日本語の専攻を終える時期でした。卒業後は、日本で就職しました。ここでは、バブル時代に見捨てられた建物を大量に発見し、本格的に都会の探検に活動の範囲を広げました。日本では廃墟探検をするサブカルチャーも盛んです。いわゆる日本の「廃墟マニア」は、海外の「アーバン・エクスプローラー」に相当します。日本に来るとすぐに、一番大きな本屋へ行き、廃墟に関する本を探しました。私の期待通りの見事な写真や歴史、廃墟探検の経験談などが掲載されている本を見つけました。
このアーバン・エクスプロレーションという趣味を持ち始めてから3年が経ちますが、運良くさまざまな廃墟を探検できました。日本の中心の自然あふれる場所に眠る、木造でできた小さな診療所をはじめ、亜熱帯気候の沖縄にある無秩序に散らばるホテルの廃墟、山に隠れるさびれた鉱山まであります。しかし、探検するたびに同様の感激はありますが、探検を通じて新たな感覚に気づきはじめました。
それは、空間そのものから感じる廃墟の多くに存在する哀愁です。建物の壁の亀裂から伸びて生い茂る植物や十数年にわたり天井からの水もれで沈下していく畳、色あせていく写真。これらを見て私は、私たち人間は単なる一時的な存在であり、誕生、成長、衰退、そして死の自然な循環の一部であることを思い起こします。物事のはかなさを受け入れることに根ざす「わび・さび」という美意識に関連づけることもできます。それは私にとって、かつての姿を取り戻そうとするかのような光景と混ざり合った、いつまでも心に残る物悲しさです。そして、時間の経過とあるがままの調和の中に隠された美しさです。
このような魅力の一方で、廃墟探検には危険もたくさんあります。建物は安全ではなく倒れる危険性もあります。それらの多くに有害物質が含まれ通気もよくありません。そして、不法侵入と見なされる可能性もあることを知っておくべきです。そのため、簡単に勧められる趣味ではなく、廃墟の世界に入る前に全てのリスクを認識しておく必要があります。
しかし、私にとって廃墟を探検することは、終わりのないインスピレーションの源です。日常生活ではない場面に出合えることもあり、取り壊される前にもう一度記録するチャンスでもあります。そして、世の中や自分自身の事についても思いがけない発見があるかもしれないのです。
マイケル・ガクラン