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shikantaza
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"道元(どうげん)は、鎌倉時代初期の禅僧。日本曹洞宗の開祖。晩年に希玄という異称も用いた。同宗旨では高祖と尊称される。諡号は、仏性伝東国師、承陽大師。一般には道元禅師と呼ばれる。 徒(いたずら)に見性を追い求めず、座禅している姿そのものが仏であり、修行の中に悟りがあるという修証一等、只管打坐の禅を伝えた。『正法眼蔵』は、和辻哲郎、ハイデッガーなど西洋哲学の研究家からも注目を集め続けている。"
shikantaza
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"* 道元の出生には不明の点が多いが、内大臣土御門通親(源通親あるいは久我通親)の嫡流に生まれたとする点では諸説が一致している。定説では京都木幡の松殿山荘で通親と太政大臣松殿基房(藤原基房)の娘伊子の子として生まれたとされているが、近年の研究では定説では養父とされている堀川通具の実子とする説が有力になりつつある。また、通親の子、通宗または通光を父親とする説もある。伝記である『建撕記』によれば、3歳で父(通親)を、8歳で母を失って、異母兄である堀川通具の養子になった。また、一説によれば両親の死後に母方の叔父である松殿師家(元摂政内大臣)から松殿家の養嗣子にしたいという話があったが、(世の無常を感じ出家を志した)道元が断ったとも言われている。 * 浄土真宗の開祖親鸞とは、(互いに生家が公家ということもあり)母方の縁戚にあたり面識があったとする説があるが確証はされていない。"
shikantaza
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"* 成仏とは一定のレベルに達することで完成するものではなく、たとえ成仏したとしても、さらなる成仏を求めて無限の修行を続けることこそが成仏の本質であり(修証一如)、釈迦に倣い、ただ坐禅にうちこむことが最高の修行である(只管打坐)と主張した。 * 鎌倉仏教の多くは末法思想を肯定しているが、『正法眼蔵随聞記』には「今は云く、この言ふことは、全く非なり。仏法に正像末(しょうぞうまつ)を立つ事、しばらく一途(いっと)の方便なり。真実の教道はしかあらず。依行せん、皆うべきなり。在世の比丘必ずしも皆勝れたるにあらず。不可思議に希有(けう)に浅間しき心根、下根なるもあり。仏、種々の戒法等をわけ給ふ事、皆わるき衆生、下根のためなり。人々皆仏法の機なり。非器なりと思ふ事なかれ、依行せば必ず得べきなり」と、釈迦時代の弟子衆にもすぐれた人ばかりではなかったことを挙げて、末法は方便説に過ぎないとして、末法を否定した。 * 道元は易行道(浄土教教義の一つ)には、否定的な見解を述べている。"
Amset
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"人間として生まれてくるということは、まことにふしぎなことであり、きわめて難値難遇なことなのです。まして、人間として仏の真実の教えと出会える縁は得難く希有なことなのです。けれどもいま、われわれは、自分では気づかなかった前世からのふしぎな善縁にめぐまれて、尊いこのいのちをいただいただけでなく、あいがたい仏の教えという尊いご縁に、出会うことができました。それゆえに、生まれては死ぬ存在の人間としてのいのちというものは、もっともめぐまれた生涯であり、何ものにもかえがたいもっともすぐれたいのちであります。この善縁のいのちをむなしく過ごして、草の葉に宿る露のようにはかないいのちを、いたずらに吹く無常の風にまかせてしまってはならないのです。"