All Audio Requests Matching takuboku

per_iocum
214 Characters / 3 Recordings / 2 Comments
"1902年には中学を自主退学し、文士文学者として身を立てるために東京に行きました。けれども、出版社への就職がうまくいかないで、結核の発病もあって、ほとんどすぐ帰郷に帰りました。翌年に『明星』の 創始者・与謝野鉄幹(よさのてっかん)が心からあつく歓(かん)迎(げい)してくれました。そして石川は「啄木」の号を与えてもらって詩作や評論を活発に行いました。 1905年には第一の詩集の『あこがれ』を出版して天才詩人として賞賛されました。"
per_iocum
188 Characters / 3 Recordings / 0 Comments
"文学者としての名声は上がる一方で生活は苦しくなって、1906年に小学校の代用教員として働き始めました。翌年には北海道へひっこして様々な職を転々としながら家族の生活を何とか支えていました。 文学を諦めきれない啄木は1908年に小説家として再び東京に出ました。けれども、小説家としての才能は認められなくて、朝日新聞の校正係として就職し、しばらくしてから朝日歌壇の選者になりました。"
per_iocum
223 Characters / 3 Recordings / 0 Comments
"この年に北海道に残してきた家族を東京へ呼び戻しましたが、妻と姑の仲が悪化し、妻が実家へ帰るなどのトラブルも多かったです。 1910年には第一の短歌集『一握の砂』を出版し、口語的な三行書きや鮮やかな表現技法から啄木は生活派詩人として知られるようになりました。 1912年、肺結核によってたった26歳の石川は死亡(しぼう)しました。 同年に友人達が力を合わせて啄木の第二詩集の『悲しき玩具』を出版しました。その詩集は各方面の文学者の絶賛をあびました。"