他(ほか)の創造物(そうぞうぶつ)とは違(ちが)い、神様(かみさま)は人間(にんげん)を神様の似姿(にすがた)で特別(とくべつ)に想像(そうぞう)しました。人間にある神様の似姿とは何でしょうか。
広(ひろ)い意味(いみ)で人間が持(も)っている神様の姿は知性(ちせい)、感性(かんせい)、意志(いし)です。動物(どうぶつは本能(ほんのう)で行動(こうどう)するだけで、知識(ちしき)は増(ふ)えませんです。しかし人間は精神的(せいしんてき)で理性的(りせいてき)に考(かんが)えられます。また正(ただ)しいか正しくないか判断(はんだん)できるようにしました。これを人格的(じんかくてき)な特性(とくせい)といいます。
また神様を知っている知識(ちしき)、聖(きよ)さ、義(ぎ)を通(とお)して神様の似姿で想像したことがわかります。これを狭(せま)い意味で神様の姿といいます。神様ははじめに神様を正(ただ)しく知(し)る知識(ちしき)と、神様に従(したが)う義、そして神様と正しい関係(かんけい)を結(むす)べる聖さをアダムに与(あた)えました。
しかし堕落(だらく)後(ご)、広(ひろ)い意味でアダムは神様の姿を持っていても神様に対(たい)する知識はなくなりました。そのためイエス様を信(しん)じない人が神様を知る本当(ほんとう)の知識がなくなりました。狭い意味で神様の姿は救われた人間だけが取り戻せるのです。人間を神様の似姿で想像した目的(もくてき)は人間と深(ふか)い交(まじ)わりをする為(ため)です。